月別: 2017年10月

得意先と友人に年賀状を書いていたときのエピソード

ある年の年末、仕事関係や友人、職場関係などの人々に合計で100枚ほど年賀状を書くことになりました。

完全に印刷のみの年賀状というのは私自身もらってもあまり嬉しくないので、少しでも手書きの部分を入れなければ、と思い、パソコンで印刷したデザインに一言を添えて年賀状を送ることにしました。

個人としてはかなりたくさんの量なので、12月のはじめころから作成をしようと思っていたのですが、やはり年末は非常に忙しい季節。

仕事のほうもいろいろと追い込みの時期になり、やむなく休日出勤をしなければいけない日も出てきたため、気がつけばもうクリスマスも過ぎていた・・・そんな時期になるまで1枚も書けないまま、年末の休みに入ってしまいました。

今からとにかく書かなければ!と思うものの、100枚という数に、印刷をするだけでもちょっとした作業でいやになる気分でした。

しかし、元旦を過ぎて年賀状が届くのも相手に失礼だし、ちゃんと個人個人に向けた手書きのメッセージも書きたいから、この年末は家にこもって書きまくろう!そう決意しました。

しかし、個人ごとにメッセージを書くというのは意外に難しく、多少はてきとうに力を抜いて済ませればいいものの、変にちゃんとしないと気がすまない私は、ちゃんと一人ひとりに向けてメッセージを書き続けました。

職場の人向けのメッセージは、普段交流のある人たちなので、比較的簡単に書け、すぐに終了し投函することができました。

問題なのは、得意先などの仕事関係の人に向けてと、友人に向けての年賀状。

得意先の場合は、まず言葉に失礼がないようにしなければいけないのと、ちゃんとその人に向けたメッセージになっているのか?ということを気をつけながら書いていかないといけません。

さらに友人も、まったく交流していない人も多いので、誰が結婚していて、誰が子供がいるのか?などを注意して書かないといけません。

結局徹夜をして仕事関係と友人に向けて年賀状を書き、なんとか投函しました。

年明けの仕事始めの日、社長から私に呼び出しがかかりました。

「何かの手違いだとは思うんだが、こういうのはまずいよねえ」

何のことかとたずねると、なんとある友人に向けて「はやく結婚しろよ!」というメッセージを書いたつもりが、得意先の重役に向けて書いて出してしまっていたのです。

「あの人は結婚していたからシャレで済んだけど、同じ会社の重役の○○さんは50歳を過ぎて未婚だから、そっちに書いていたらシャレではすまなかったぞ」

その未婚の重役の方にも書いていたので、心臓が爆発しそうなほどヒヤヒヤしてしまいました。

今後は余裕を持って準備をしたいと重います。

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年賀はがきの印刷、これも今できる親孝行なのかもしれない

私が幼いころ、父は硯と筆を用意して、1枚1枚筆で手書きしていました。いつしか、その風景から硯が消えて筆ペンが登場していた。

文面が印刷された年賀はがきを買って来て、宛名と差出人だけを書くようになった。

ある年、私がスタンプを使って年賀はがきを可愛らしくしているのを見て、父はスタンプを買って来てた。買って来ても1枚ずつ押す時間がなく、お小遣いをもらって私がやっていた。父の会社関係、友人、親戚の全てを引き受けていた。

さすがにあて先は父が書いていましたが、あまりにも多い年はどの年賀はがきにも一言も添えることなく、素っ気無い年賀状になっていました。

私がパソコンを購入し、素材集を買って来て自分の分を作っていると、母経由で「作ってほしい」と言われました。

素材集を渡すと、何カ所かに印がついていて、会社関係と友人・親戚でデザインが違うのをお願いされました。

この頃から、母の年賀はがきも私が引き受けるようになりました。どちらの住所録も私が管理し、ちょっとしたお小遣いをもらって、表面裏面の両方を引き受けるようになっていました。

私が結婚してもこのイベントは続き、素材集の本を私が買って実家に送ると、印がついて返ってきて、見本を印刷して送ると電話で返事があり、指定枚数を印刷して実家に送っていました。

素材集の返送が面倒になったのか、私の出費を抑えようと思ったのか、ある年から、年賀はがきの季節になると、年賀はがきの広告に丸がついていて「こんな感じのがほしい。」と連絡してくるようになりました。

それを見て、干支のイラストを素材集で似たものを探し、時には1つのイラストのために素材集を1冊購入することもありました。母からは「かわいい干支と『あけましておめでとうございます』と書いてあるだけでいい。」と簡単そうで難しい注文でした。

最近は、両親から連絡がある前に、素材集などを購入し、住所録の印刷したものと、年賀はがきの何種類か見本を作り実家に送っています。

12月上旬ぐらいに、住所録の変更や年賀はがきを出さない人の印などがついたリストと、気に入ったデザインの見本が返ってきて、電話で最終チェックをして、印刷をし、まとめて実家に送っています。

もう、父は定年退職し、年賀はがきの量はピーク時の半分以下です。

残業もない日々なので、昔のように1枚1枚を手書きしても良いと思います。

きっと、今年も私が印刷することになるでしょう。

これもある種の親孝行になっているのなら、これからもずっと印刷していこうかな。

手書きの年賀状の良さ

最近は年賀状を書かなくなっている人が増えてきているようです。

言われてみると確かにそうかもしれません。自分自身も、年賀状をもらう枚数が昔よりも減っています。

この理由は簡単なことで、現代社会は何でもかんでもあらゆるものがデジタル化されていますので、年始の挨拶にしても「LINE」などのコミュニケーションアプリを通じて、画面上の文字だけのやり取りで済ませてしまう人が増えたからです。

中でも、生まれた時からパソコンやスマートフォンなどのツールが既に身の回りに存在していて、インターネットなどを何の疑問もなく当たり前のものとして使いこなしながら育ってきた若い世代の人たちは特にそうでしょう。

 年賀状を書くというのは非常にアナログな行為です。

わざわざ年賀状という専用のはがきを購入してきて、それに一枚ずつ相手の名前や住所を書いて、裏には年始の挨拶とともに何かしら気の利いた言葉も添えて、そして正月当日に届けるためには期日までに郵便ポストに投函しに行かなければならないわけです。

この一連の手間暇というものは、そういった若い世代や忙しい現代人には面倒どころの話ではないでしょう。

パソコンやスマートフォンなどのデジタルツールがあればそれらの手間暇を全て省いて、大晦日から正月に日付が変わった瞬間、年が明けたその瞬間にメッセージを送信すればそれで完結するわけです。

しかも、年賀状を書くその時間を他のことに使うことができるわけですから、わざわざ手間暇をかけて労力を費やすことなどは馬鹿らしい無意味なものとしか思えないでしょう。

でも、手書きの文字の良さというものも改めて見直されるべきではないでしょうか。

手書きの文字であれば、「今年もよろしくお願いします」という言葉一つを取ってみても、受け手に対する書き手の心が感じられるからです。

まるでミミズののたくったような細くて小さな文字で書かれていては、「この人は本当に自分との付き合いを望んでいるのかな?

書くのも面倒で嫌だったのでは?」なんて思いますが、逆に大きく力強い文字で書かれていれば、「なんて気持ちのよい人だろう、自分との関係を快く思ってはっきりと書いてくれたんだな」という確信が持てるというものです。

味も素っ気もない画面の文字からでは、こういうことは感じ取れないのではないでしょうか。

デジタルツールに頼るのが時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、それでも正月ぐらいはデジタル画面から目を離して、大切な友達やお世話になった人に年賀状を出したいものです。

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